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2007年11月10日(土曜日)

今日は、洋学史研究会開催の「“咸臨丸”建造150年をふりかえる」に一般聴講者として行ってきました。

 第一部は「幕末の蒸気船物語」、船の科学館資料ガイド「咸臨丸」の著者である元網数道氏による「図面から読み解く“咸臨丸”」。
 幕末、ペルー提督率いるアメリカ艦隊の来航により開国せざるをえなくなった、徳川幕府が国防上、海軍創設を決議。「幕府海軍の創設、海軍伝習所の開設、軍艦の購入」に至りそこで、「咸臨丸」「朝陽丸」の二隻のスクリュー式蒸気艦をオランダに発注するにいたったことを幕末史に興味のある方はご存知と思います。
 もちろん咸臨丸が長崎伝習所の卒業生である海舟勝麟太郎以下日本人の乗組員により、日米修好条約批准のため合衆国軍艦ポーハタン乗艦し渡米した幕府使節団の随伴艦として太平洋を横断したことも皆さんご存知のとおり。
 ところが、有名な艦でありながら、長年、外形、主要寸法、排水トン数等がほとんど不明という不思議な艦でした。しかし、昭和44年(1969年)のオランダのロッテルダムにある海事博物館で建造当時の図面が発見。最近新たな図面がオランダで発見されたことから咸臨丸の研究が進み、関係者の努力によりその詳細が明らかになりました。
 この研究の成果は元網数道氏による「幕末の蒸気船物語」、船の科学館資料ガイド「咸臨丸」で詳しく知ることができます。
 今回は、元網数道氏によりその図面、蒸気機関等の説明、新たに発見されたオランダ艦バリの船体船図が、帆装形式こそ違うものの、船体は咸臨丸と同型であること。こうした図面も見せていただきながら説明をしていただきました。
 そのなかで勝家の使用人であった新潟県の旧家から昭和49年発見された咸臨丸のリギン図によりシュラウドのチェイン部分の取り付けがデッドアイではなくターンバックルであったことが判明したということについては大いに興味をそそられました。なぜならシュラウドがマニラ・ロープではなく、ワイヤーケーブルだった可能性があるからです。これについては元網数道氏に質問したところ「多分ワイヤーケーブルだったでしょう」とのお答えをいただきました。そうすると他のステイもワイヤーケーブルだったと思われます。う〜ん、リギン類がマニラ・ロープからワイヤー・ケーブルになったのはいつ頃なんでしょう? 手元の資料はすべて、天然繊維ロープの時代のものばかりなのでよくわかりません。
 また、長年の疑問だった当時の気帆装艦の帆走時のスクリュー引き上げの方法についても解る事ができました。艦内よりプロペラ・シャフトを艦内側へ引き抜き、つづいて枠に収まったスクリューを引き上げていたそうです。これは明治2年に刊行された沼津兵学校(海軍学校)のテキスト「蒸気器械書」に書かれているそうです。この2点は大変参考になりました。特に長年の疑問だった機帆装艦の帆走時のスクリュー引き上げの方法について解決したのはとても助かりました。

 第二部は洋学史研究会片桐一男氏による「“咸臨丸”発注、回航、働きなど」。
 第一部で咸臨丸の排水量トンについて625トンとの説明がありましたが、幕末時に咸臨丸が長崎に回航されたおり長崎奉行所に提出された書類にも625トンである旨が記載されていることを当時の書類のコピーで示され、線図からの計算でも排水量625トンで間違いないとの裏づけがされたこと。又、発注時はJapan(ヤパン)という艦名であったのが、安政五年幕府より「咸臨丸」と命名するお達しの書類のコピーなど古文書も示され咸臨丸の働きについてのお話がありました。
 その中で、勝家の使用人であった新潟県の旧家から昭和49年発見された咸臨丸のリギン図を発見したのが片桐一男氏であり、このリギン図がくしゃくしゃになって丸められていたのを丁寧に根気良く繋ぎ合わせた結果咸臨丸のリギン図であることを発見されたお話などとても興味深いものでした。他にもこの新潟県の旧家には勝海舟の剣術目録他、多くの勝海舟にまつわる古文書が伝わっていて今後の研究によっては勝海舟のあらたな側面が浮かんでくるであろうとのお話でした。
 この古文書の中に勝海舟が咸臨丸で渡米時にメーア島海軍工廠長カニンガム海軍大佐から勝海舟に当てた手紙があり、それには「シート・アンカーという軍艦の艤装と運用の本を贈呈します。」とあり、この本がどこかで見つかれば是非船の科学館に収蔵して欲しいとのお話もありました。

 さて、咸臨丸の線図等の図面はコピーですが、船の科学館に収蔵されていますし、それらの研究の成果により船の科学館資料ガイド7「幕末の蒸気軍艦 咸臨丸」が発行されています。第一部でのお話はほとんどすべてこのガイドブックに書かれていますので、ご興味のある方は船の科学館を訪れたさいには是非購入されることをお勧めします。

 今回の研究大会は大変有意義な場でありました。一般聴講を許してくださった洋学史研究会、船の科学館をはじめ関係各位の皆様にこの場をかりてお礼申し上げます。

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